成功事例インタビュー
成功事例インタビュー
無料セミナー講師から
一回5万円のセミナーへ。
20人集客できる講師へ。
言われた通りに素直に行動をしていけば、
更に一回27万円のセミナーへ
集客できるようになりました。
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不妊治療院経営 粟木原出さま
整体で懐妊率67.4%を誇る「不妊整体」を確立。
現在では「不妊治療」の専門院として、4店舗の治療院を経営しており、これまで1800人以上の患者さんを 懐妊させることに成功している。
治療院では日本全国から 口コミ患者さんが殺到。
現在は、自身の治療技術を普及するため、年間60回以上セミナーを開催しており これまでに2500人以上の治療家に手技を広め、治療のスペシャリストの育成に励んでいる。
不妊治療院経営 粟木原出さま
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ビジネスで注目したのは「不妊治療」



ビジネスで注目したのは「不妊治療」

ー どのようなビジネスをされていますか?
粟木原:うちは、会社が二つあります。ひとつは「鍼灸マッサージ院」です。これは主に不妊治療をメインとした婦人科系の鍼灸院です。神奈川県の茅ケ崎市に二つ、藤沢市に一つ、横浜市に一つ、ここ西新宿にも新しくできました。もうひとつは、2年くらい前に法人登記した「一般社団法人婦人科セラピー協会」といいまして、治療家や、助産師、薬剤師、歯科医師、ヨガのインストラクター、ピラティスのインストラクターなど、鍼灸や柔整師など含めて、治療に関わる方々の婦人科系の施術の知識をお伝えする協会を、経営・運営させて頂いています。

ー なぜ、不妊治療をされるようになったのですか?
粟木原:自然というか、ねらった訳でも何でもなくて、これがご縁というか… 鍼灸の学生時代、病院の当直のバイトで学費を稼ぎながら、学校に通っていました。多い時で週4日くらい泊まって、病院から行っていました。看護師さんが沢山いる病院だったので、お小遣いをもらいながら施術をしていて、やっていくうちに婦人科の質問とか、疑問とか、どうにかならないの?みたいな話を相談されるようになりました。、いつの間にか積み重ねているうちに、卒業して開業しても、妊活を頑張られてる方とか、婦人科系で生理痛がひどい方とか、更年期障害がある方とか、自然にだんだんと集まってきた感じです。

ー 不妊治療の施術をする方で、男性の方もいらっしゃるのですね?
粟木原:いると思います。僕も不妊治療をやり始めた最初の人たちの一人ではあると思います。

ー ビジネスを始めて何年くらいですか?
粟木原:鍼灸の学校1年目の時に開業しました。転職組で26か27歳の時です。その頃、病院で働きつつ、実家に一部屋を借りて開業しました。今年44歳なので17〜8年でしょうか。そう考えたら長いですね。

ー 北岡を知ったきっかけは?
粟木原:セミナーの前に、ダイレクト出版からコンテンツを買いました。最初、すごく頭のいい人だなという印象があったので色々調べていたら、「オクゴエ!」を見つけました。ずいぶん昔ですが、集客の商品で20万円くらいのものを2つ買いました。

ー 当時の年商や利益を教えて下さい。
粟木原:正直、正確には覚えていないですが、月商150万円くらいだったかと思います。ひとりでやっている割には、頑張っていました。ひとりでやってる時は自己投資もできていましたし、利益は残っていたと思います。

次に何をすべきか?

次に何をすべきか?

ー 当時、悩みはありましたか?
粟木原:比較的要領よく、ひょいひょいっと行く方です。楽しみながらできるタイプなので、悩みという感じではないですが、何をしていくのが正解なのかが分かりづらかったです。どっちの方向に向かって何をすれば良いのかが、イマイチ分かりづらくて、それが悩みといえば悩みでした。具体的に言うと、次に何をしたら良いのかが分からない。正解が分からない。いつの間にか月商150万円までいってしまったので、次にどんな手を打っていけば良いのかという勉強を求めていました。次に何をすれば良いのかということを考える頭が必要だったのだと思います。

ー お金の面でも集客の面でも心配は無かったのでは?
粟木原:そう思いますけど、そこが欲深いというか・・(笑) 今の自分と理想の部分というのが、離れていたんでしょうね。

ー どんな理想がありましたか?
粟木原:当時、もっとうまくいっている方が周りにいました。分院展開していたり、もっと楽しそうにチームで仕事をしていたり、そういう方々を見ているのと、自分との差を感じました。その時は一人で仕事をしていたので、チームで仕事をすることが憧れでもあり、理想形の一つでもありました。新宿の新しい医院の準備や、去年の横浜の準備などは、文化祭の準備みたいなイメージでした。うちの会社は、みんなで民主主義を引いているので、意見を聞きながらやっています。今のこの状態が、その当時の目指すところだったのかもしれません。今は、そこまでは来た感じです。

望んでいた「学び」にたどり着く

望んでいた「学び」にたどり着く

ー 問題解決のためにどう動きましたか?
粟木原:やっぱり勉強が必要だと思っていました。頭のいい人だったら、本を読むことで理解して進めていくこともできると思います。ですが、ぼく自身あまり学歴も無く、高校を卒業して公務員になりました。そのあと、この業界に入って、学費をためて学校へ行ったので、いわゆるマネジメントの知識や経営の知識やアカウンティングの知識などが全くありませんでした。基礎的な部分でも本で読むより、誰かに習ったり教えてもらったりした方が、効率が良いと思っていました。

ー セミナーは色々行かれましたか?
粟木原:僕はあまり行ったことがないです。安いセミナーも高いセミナーも行ったことがないです。北岡さんのセミナーが最初です。10〜15万円のセミナーで、だいぶ昔だと思います。ダイレクト出版の教材も、実はそんなに買ったことがないです。

ー どうやって北岡に辿り着きましたか?
粟木原:探していたと思います。その当時のライターさんで、何となく相性が良さそうで、自分が足りないものを持っていそうな人のコンテンツを探していたら、「オクゴエ」を見つけました。

北岡さんと出会って変化が始まる

北岡さんと出会って変化が始まる

ー 北岡のどこに響きましたか?
粟木原:自分とタイプが違う部分です。頭が良さそうで、理路整然としていますし、主張がしっかりしているというところです。色々なコンテンツを売っている人がいると思いますが、主張がぼやけていたり、自慢げに話したりする人は苦手です。北岡さんは、そういう感じではなくて、飾らず鋭く話すところが、その時の僕に必要だと思いました。

ー 北岡と出会って、年商や利益に変化はありましたか?
粟木原:教材をやっているうちに、売上がひと月に220〜250万円くらいいきました。スカイプのコンサルをしてもらっている時に、この売上の話をしましたが、今後の不安も相談しました。その時のことは、今でもすごくよく覚えています。「単独(1.5人)でそれくらいまでいってスゴイじゃないですか?そういう分野でやっているなら、教える側に回るのが普通ですよ。」とアドバイス頂きました。そういう道があるんだなと思いました。

ー 教える道があると聞いてどう思いましたか?
粟木原:元々、セミナーもやっていましたが、そこで利益を上げることは全然考えていませんでした。ほぼ無料でやっていましたが、「コンテンツ化していくと良いですよ。」というアドバイスを頂いて、道が開けていきました。

宝物は、すでに持っていた

宝物は、すでに持っていた

ー そもそも、なぜセミナーを始めようと思ったのですか?
粟木原:鍼灸の学校の時、お金がなくて大変だったので勉強もできなかったのですが、卒業してもう一回また一年くらい学費をためて、もうひとつ学校に通いました。その時に、なんだか、すごく頭が良かったんですよ。「頭いいんだな、勉強すればできるんだな。」と自分を発見しました。それこそずっと学年トップで、テストも全部100点だと、自然と「できるから教えてよ。」と求められるようになりました。個人で開業していて、色々バイトして、手伝いながら学費ためて頑張っていて、きっとすごく目立っていました。その頃、みんなで勉強会をやろうという雰囲気になり、始めたのが「ファンクショナルマッサージ研究会」です。元々、今の前身があったのです。

ー 無料から有料化した時のセミナー金額はいくらでしたか?
粟木原:その頃、北岡さんの「同業者向けコンサルタント」のセミナーに参加していました。ちょうど、商品を売る課題になり、改めて自分の中で何が売れるか考え直して、教えて頂いた通りに流れを作りました。、金額的には最初は5万円のワンデーセミナーで、かなり集まりました。

ー 無料から5万円へのハードル、高いですよね?
粟木原:精神的にすごくハードルは高かったですが、お金を儲けるという頭がありませんでした。当時、5万円で20人弱集まり、はじめて高額商品が売れて、すごく嬉しかったです。北岡さんのセミナー内でも発表する場があり、共有しました。意外とそこまでいかない参加者の方もいましたが、ちゃんと作って売った方は、ちゃんと売れていました。今やコンサルタントとして活躍されている方が何人もいます。その後、「バックエンドを50万円くらいでいきましょうよ。」と北岡さんに言われましたが、勇気がなくて25万+消費税で、27万円くらいの価格にしました。それも講座の間にすぐワーッと売れました。その時に参加してくださった方々は今も付き合いがあります。現在、また長いセミナーをやっている最中なのですが、当時から来てくれている方がまた来てくれていて、すごく良い流れがきたと思います。

悩みは数字で乗り切れる!

悩みは数字で乗り切れる!

ー 悩みが全然ないように聞こえますね?
粟木原:ありますよ。悩みは、もちろんありますよ。今でもあるのですが、北岡さんの思考パターンで乗りきっています。まず数値を把握して、ある程度の数値を理解します。ここまで行かなければまずい線をひいて、どう超えていくか、どう維持していくかをチェックしていると、意外とギリギリの勝負もできるように思います。新宿の医院でも、開院するのに相当お金がかかっています。日本で一番大きい駅の徒歩圏内に出しているので、それなりにお金はかかっている訳ですが、数字を見て、過去の経験と照らし合わせていくと、リスクのあることも埋められるということは理解できました。「エイや!」って、思い切ってやっているわけではないのです。

ー 緻密に考えられているということですね?
粟木原:慎重に、考えています。最初、北岡さんに会った時には、スタッフもひとりだったのですが、今は20人くらいいます。その人たちの生活もあるので、危ないリスクは取りません。とる必要もないですし、数字で考えていくことは、ぼくの中ではすごく新しいことでした。努力はするのですが、初めに数字を理解した上での努力です。

みんなが入りたくて、辞めた人もいない会社へ

みんなが入りたくて、辞めた人もいない会社へ

ー ビジネスでの成果は?
粟木原:お金だけ求めている訳ではないと言えばきれいごとになりますが、治療院の方では本当にそうなのです。働くのは9時〜18時までですし、主婦の方も、もっと早く帰る方も沢山いますし、ギュッと短くしています。週3〜5日の出勤でしっかり休みをとっています。研修と称して特訓みたいなことをさせたこともないです。このような状況なのに、月商レベルでは、かなりいっています。患者さんにも喜ばれながら、スタッフも楽しく働きながら、ある程度の利益を上げていることが、ビジネスの一つの成果だと思います。

ー 具体的な数字はどれくらいに変化しましたか?
粟木原:月商で1000万円くらいです。セミナーなどは別会社なので、これとは別です。30万円くらいのセミナーでも20人くらい簡単に集まります。他にも協力会社があって、コンテンツを提供しているので安定収入がかなりあります。そう考えると、二つのビジネスが成功して、過去に比べればうまくいっていると思います。

ー お金以外の成果はありますか?
粟木原:人が入りたい会社になったと思います。沢山入りたいといって面接に来てくれます。ホームページに少し書いてあるだけなのですが、年間かなりの方が来ます。たまに新卒の方の就職ガイダンスへ行くと、うちのブースの前には人がたくさん来ます。

ー 人気の理由は?
粟木原:産休か育休、旦那さんの転勤、二人目ができたから戻ってこれないという方はいますが、辞めた方がいません。その子たちが良く言ってくれているみたいです。社長さんって悪口言われることが多かったりしますし、来るとシーンとしたりすると思うのですが、うちはそういうことは無いです。会社自体、先輩後輩なく働くことが、条件であり文化でもあります。誰が偉いとか全くないことが一番の文化です。そういう話を聞くと、有難いことに入りたい人はいくらでも来てくれます。

ー 上下関係ない文化を起業当初から決めていたのですか?
粟木原:これは元々の性格的なものがあります。最初にいた従業員一人とは、男女ペアでしたが、変な関係ではなく仲良が良かったです。今はその子が妊活の後に二人のお子さんを産んでくれて、それこそ長い付き合いです。当然、今でも仲が良い文化のまま続いています。変に威張る人や、機嫌の悪い人も全然いないです。例えば、向こうの鍼灸院の部屋での会話と、こちらの部屋での会話は全く差がないというのも文化です。お陰様で、表裏の全くない良い会社だと思います。

ー 働き方は変わりましたか?
粟木原:変わりました。北岡さんも言われていることですが、ぼくが一人で張り切って動き回る感じではないです。得意なことや苦手なことなど、みんなあります。ここの分院長の方は僕と全く違うタイプですが、すごく優秀な方で、細々としたことをミスなく全部やってくれます。僕はアイデアを出すのが好きで得意なタイプです。そういう人も他にいて、自身の得意な仕事で活躍しています。

目線を変えていくと見えた世界

目線を変えていくと見えた世界

ー 成果を得るために努力したことは?
粟木原:僕は机に向かって勉強することが苦手なタイプです。根詰めて本を読んで分析して覚えるということも苦手なタイプです。ビジネスを習ったのは北岡さんだけですが、個別に月一回お会いしていることと、三カ月に一度のグループコンサルでの周りの方が信じられないような凄まじい人たちばかりだったのとで、その人たちがやっていることが自然と自分に入ってきました。今、話しながら考えてみると、ここ3年間、自然と目線が上がったと思います。

ー 仲間と接していて変わったということですか?
粟木原:影響はすごく受けたと思います。みんなと楽しく働くことがゴールで、それは叶いました。それでも、ここのセミナールームのように、わざわざ新宿にコンサルできる部屋を作ったのは、その人たちの影響がかなりあると思います。良い意味での欲が出ました。自分が目指したところにたどり着いてみて、まだまだ小さいなと思いました。まだ、違う世界がありましたし、今は逆にやりたいことが多すぎます。それも、もしかしたら全部叶えられるのではないかという目線になってきました。

優秀なスタッフと作業を手分けする文化

優秀なスタッフと作業を手分けする文化

ー 取り組む中で大変だったことはありますか?
粟木原:ゼロイチで何かスタートする時は、やっぱり常に大変でした。ただ、スタッフとシェアしながら仕事を作業分けするという文化ができたので良かったです。新しいことをやり始めると業務が多くなることが一番大変ですが、お陰様で優秀な人が沢山集まってくれるようになったので進むようになりました。

ー やることが増えた時、スタッフさんから文句はなかったですか?
粟木原:なかったです。例えば、チラシとか作るスクールへ会社の予算で行ってくれる方とか、あと、動画の編集のスクールに行って勉強してくれている子もいますが、むしろ喜んで、楽しそうにやっています。

ー 声掛けするのか?自主的にやってくれるのか?
粟木原:常に話し合いの場があるので、そこで、やりたいと言ってくれる人もいます。茅ケ崎の院長は、全部自主的にやってくれています。ほとんど顔を出さなくてもマーケティング能力が高いのです。勝手に広げてくれて、すごくうまくいっています。または、僕の方から「こういうことを将来やりたいね。習いに行かない?」と声をかけた方もいますし、色々ですね。

手放すことも重要!

手放すことも重要!

ー 昔やっていたけれど、今はやらなくなったことはありますか?
粟木原:最初に捨てたものは、長い時間のマッサージです。うちは「茅ケ崎 マッサージ」の検索で1位になるくらい、すごく良いサイトを持っていて、名前も「ファンクショナルマッサージ」ですし、マッサージを受けたいという人もいました。ただ、スタッフの負担にもなるし、自分たちも疲れるので、真っ先に捨てました。今思うと、今まで捨てたものの中で最高のものだったと思います。あとは、男性の施術もしていましたが、スタッフも嫌だというので、ずいぶん早い時期に捨てました。男は体も大きいし施術も面倒なので、さっさと捨てました。

ー 手放す躊躇はありませんでしたか?
粟木原:考えている目線が変わったお蔭で、躊躇はありませんでした。「マッサージ 茅ケ崎」だけで、誰でも入れる安定にこだわり続けるのか、他の世界に行くのかは、他の世界への目線が見えたからだと思います。その世界が見えると、そこへ行けるというイメージだと思います。それから、元々あった婦人科の鍼灸や不妊鍼灸というのが広がっていきました。

先を見通したアドバイスが的中!売れ続ける主力商品へ

先を見通したアドバイスが的中!売れ続ける主力商品へ

ー 最も役に立ったアドバイスは?
粟木原:「なりたいところへの距離を埋める作業」という知識です。今となっては、当然考えることができますが、当初は考えていませんでした。なりたい部分とそこへの距離を埋める作業を、いかに行動にto doに落とし込んでいくかというのを、常に一緒に考えさせて貰いました。ビジネス書レベルだと思いますが、実際にお付き合いさせてもらってやっていくと、もっと複雑なんです。こちら側の自分の位置も変わって、やりたいことを追い抜いたりすることもあります。ここ2年間ほど、準備しているうちに追い抜いてしまうのです。追い抜いて、追い抜いて、やりたいことを越してしまうのです。目線が素晴らしい方とお食事に行かせて頂いたり、グルコンでお話を聞かせて頂いたりしているうちに、目線が上を向いて、やりたかった事を通り越して「準備し損」みたいなことも沢山あります。そういう埋まっていることも沢山ありますが、後でやりたくなったら、ぼく以外の人がやっても良いと思っています。埋まっていることが沢山あります。

ー 最も役に立ったコンテンツは?
粟木原:集客のコンテンツです、「OLG」とか、そういう名前だったかと思います。理路整然として、これを全部やって、うまくいかない人なんて一人もいないと思うような内容でした。僕は3割くらいこなして、十分うまくいったという感じ。3割までいかないかもしれません、2割くらいかも。 ただ、北岡さんの価値が本当にあるのは、少人数のリアルセミナーです。集まっている方たちも、それなり以上の方ばっかりです。その時から、ぱーっと伸びていった方もいます。個人的には無理してでも、高額なリアルのセミナーをおすすめします。僕は50万円くらいする「同業者向けコンサルタント」が最初の高額セミナーでしたが、意識の高い方が沢山いました。

ー 内容も、仲間も、集まる人たちも大切なのですね。
粟木原:色々な考え方、まるっきり僕と考えているレベルが違う方も沢山いて、知ってしまうとなりたいものが変わるのです。今思うと、僕は知ってしまうと「もっと」と思うタイプです。

ー 北岡の第一印象はどうでしたか?
粟木原:怖かったですよ。怒られそうな雰囲気がなんとなく・・・僕はだらしないので、きっちりはやらないタイプです。ただ、意外と北岡さんもそういうタイプなのかな?と、今となっては思います。今でも、怖いというより、会う時に緊張する相手ではあります。

ー 他のコンサルタントと北岡の違いは、どんなところ?
粟木原:コンサルタントの知り合いもいます。すごい方も、まだ頑張られている最中の方もいますが、北岡さんは、直接お話しして、直接アドバイスして頂くと、違いがすごくよく分かると思います。考えが深いです。先の先まで準備させておいてくれます。今、僕も商品売るようになり、協会の商品がいくつかありますが、1年後2年後のためにアドバイス頂いたり、業者の紹介までして頂いたりして用意したものは、今となっては主力商品です。直近で一気に、数百万、数千万売り上げるようなものでなく、ずっと先のものを準備させて頂いてきたと思います。先のことまで考えられるのは、経験の違いなのかもしれません。コンサルタントとして一年二年の方と、ずっと色々な会社を見てきた方との違いだと思います。

素直に行動に移せば、知らない世界を体験できるように・・・

素直に行動に移せば
知らない世界を体験できるように・・・

ー 北岡を選んだ決め手は?
粟木原:「勘」でしょうか。この人だったら、具体的に言ってくれそうだと思いました。どうとでも受け止められるような抽象的な事を言う人は苦手です。何を言っているか分からないです。今考えると、具体的に言ってくれそうな人を求めていたのだと思います。

ー 北岡は、粟木原さんにとってどんな存在ですか?
粟木原:色々なことを教えて頂いた方です。良いホテルに泊まるだとか、グリーン車に乗るだとか、信じられないくらいスゴイ値段のレストランも連れて行ってもらいましたし、服にお金をかけるとか、そういうことは全く知らない世界でした。正直言って全く興味もなかったので、本当に色々なことを教わりました。良いレストランに行っても、何をどう食べて良いかもわからない。貧乏出身なので、ワインの飲み方も習ったと思います。教養がある方なので色々教えてもらいました。今は逆に、誰かに教えたりしていますよ(笑)

ー 知らなかったことを知った時に、何か変わりましたか?
粟木原:すごく変わったと思います。グリーン車なんて、経験ではなく効率を求めているのだと思います。レストランも、ワインのことなど、知らなかったことを知ったら、後は調べれば良いだけです。そういう「場」にいないと経験できないですし、一生そういう経験をしない人がほとんどなのかなと思います。

ー 北岡を勧めるなら、どんな方に勧めますか?
粟木原:使い倒す方です。言葉は悪いですが、そういう形でいけばベストだと思います。ただ、ゴールを設定しても、そこまで行こうとする時にギューギュー詰めて「これもやれこれもやれ」では目標まで行けないと思うのです。10個全部ではなく、効率よく埋めるための2個をしっかり教えて下さるので、素直に行動に移せば、どなたにもお勧めできます。素直に行動するのが一番いいです。

ー 逆にお勧めしない人は?
粟木原:人の話を聞かない人は、あまりお勧めしません。

チャレンジできる環境を

チャレンジできる環境を

ー 粟木原さんは、今後どうなりたいですか?
粟木原:今年は、すごく忙しく色々なことをやっている年ですが、基本ベースを変えないで、今のままチームで仕事をしたいです。スタッフと一緒に仕事をすることがすごく楽しいので、これを維持していくというのが一つです。僕は、欲しいものも、やりたいことも、ある程度できるようになったので、売上を上げたり収入を上げたりすることには、あまり興味がないです。そう考えると、今度はうちの会社にいる子たちが、やりたいチャレンジをできるような環境を作ることができれば、次のもう一つのゴールかもしれません。僕自身の時間的な限界もありますし、今年は、うちの会社から良いものを世の中に色々提供できる子たちが現れるのではないかと思っています。



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